立ち塞がる障壁
2016年11月に地球温暖化対策の枠組みを決めたパリ協定が発効し、世界は21世紀半ばに向けて低炭素社会、脱化石燃料に動き出している。そんな中、日本は2014年と2016年に「水素・燃料電池戦略ロードマップ」を策定し、究極のクリーン・エネルギーといわれている水素社会構築を目指し、世界の最先端を走っている。世界最初の量産型燃料電池車MIRAI(ミライ)が2014年12月に発売され、また都市ガス・LPガスを改質した水素を用いた世界最初の量産型燃料電池エネファームの累計販売台数が2017年5月に20万台を超えている。
水素は熱量が大きく、地球環境に優しい等、多くのメリットを持つ反面、いくつかの欠点もある。第1に輸送・貯蔵が難しく、水素ステーションの建設費が1基4〜5億円と、ガソリンスタンドの5倍程度かかること。第2に液化温度がマイナス253度と絶対零度に近く、技術的にも、素材面においても取り扱いが容易でないこと。第3に他の一次エネルギーから作る二次エネルギーであるため、石炭火力発電のように炭酸ガスを大量に排出するエネルギーから水素を製造すると、ライフ・サイクルから見て炭酸ガスの排出削減にならないこと。第4に燃焼温度が高いことから水素発電の場合には窒素酸化物を排出すること。さらに、金属を劣化させる性質を持つことなどである。
水素社会に向けての取り組み
自動車産業の動きを見ると、2018〜2019年に始まる米国カリフォルニア州及び中国の自動車規制では、日本が得意とするハイブリッド車はガソリンを消費することから環境対応車から除外され、電気自動車と燃料電池車が対象となっている。しかし、電気自動車は走行距離が短く、充電時間が長いなど、実用的な面で課題を抱えている。一方、燃料電池車は電気自動車が持つ課題がクリア出来ることに加え、日本は早い時期から、水素研究に都市ガス、石油精製・元売企業等が取り組み、水素の製造、貯蔵・液化、燃料電池の生産等に関して、国内に世界一、二といわれる有力企業が揃っている。
今年初め、日本は燃料電池車の普及目標として、2030年に80万台、2040年に300〜600万台を掲げた。定置用燃料電池も、PEFC(固体高分子型燃料電池)、SOFC(固体酸化物型燃料電池)の標準型の価格低下を図り、2020年に140万台、2030年に530万台を普及させる計画でいる。燃料電池はエネルギーが必要な場所でエネルギーを作るため、地産地消の分散型エネルギーとして、エネルギー効率が良い上に、自然災害にも強い。
さらに、炭酸ガスを排出しない水素発電を2020〜2030年に本格導入するために、海外の未利用エネルギーから水素を製造し、安価な水素のサプライ・チェーンを確立することを目指している。具体的には、豪州の低品位炭から水素を製造して日本に輸送し、CCS(炭酸ガス回収・地下貯留)技術を利用して、ライフ・サイクルで見て炭酸ガスを排出しない安価な水素供給を行うというのだ。
水素をエネルギーの世界標準に
2020年の東京オリンピックにあたり、日本は環境都市東京をアピールするために水素ステーションの整備及び、燃料電池車・定置用燃料電池のさらなる普及を掲げている。
水素社会構築により、水素の製造、供給インフラストラクチャー整備、家庭用燃料電池、燃料電池車をはじめとした巨大なビジネスの誕生が期待される。市場規模は国内で2030年に1兆円、2050年に8兆円に拡大し、世界規模では2050年に160兆円に達するとの予測もある。世界最大の産油国サウジアラビアも脱石油依存政策を進め、石油から水素を製造するために日本企業との提携を模索している。
もちろんフォルクスワーゲンをはじめとした世界の大手自動車メーカーが、構造が簡単な電気自動車に舵を切る中、日本だけが高度な水素技術を持つために、日本の取組みが逆にガラパゴス化するリスクもある。
水素という優れたエネルギーをどのように活かし、日本と世界の低炭素社会構築に貢献するのか。水素が地球環境保護の世界標準(グローバル・スタンダード)として、最大の切り札となるのか。日本の強みである水素関連技術を、どのように海外への発展戦略に拡大するのか。官民の知恵が問われている。
よもやま話
東南アジアからのLNG調達について
今年の2月中旬、マレーシア政府の招待を受けクアラルンプールで環境対応車についての講演を行う機会があった。今でこそ、日本における一番のLNG輸入先は豪州、カタールとなっているが、以前はマレーシア、インドネシア、ブルネイ等の東南アジア諸国が主要な調達国であった。現時点においても第2位をマレーシア、第5位をインドネシアが占めていて、その重要性は変わっていない。
また、マレーシア、インドネシアにはいくつかの共通点がある。第1に親日的な国であるということ。第2に気候が温暖で、人懐こい国民性を持ち、物価が安く、日本人が旅行しやすいこと。第3に穏健なイスラム教国であり、戒律がそれほど厳しくないことから日本人が住みやすいこと。他の東南アジア諸国と比べて、中華料理に近いメニューが多く、食生活が我々に馴染みやすいことも魅力である。中東諸国と比べて地政学リスクが小さく、日本へのLNGの輸送日数が6日程度(中東からだと21日間)と短いメリットもある。
ただ、東南アジアの国々も最近は変貌を迫られている。経済成長に伴うエネルギー消費の増加で、天然ガス消費量の拡大に国内の生産量の伸びが追いつかず、マレーシア、タイ、ミャンマー、フィリピン等がLNGの輸入を始め、輸出国から輸入国へと転じたことである。
そうしたなか、マレーシアは従来のLNG取引の慣行であった仕向け地条項(LNGを決められた場所に輸送することを義務付け、転売を禁止する)の見直しにも柔軟で、今年4月から日本企業が購入したLNGの転売が可能となる契約を結んでいる。これにより日本企業は、原子力発電所の再稼動時や真夏の都市ガス消費が減退する時期にLNGを必要としている他の買い手に転売することで、余剰なLNGを抱えなくてもすむようになった。
今後、日本におけるLNGの安定供給と調達コストの低減を考えるうえでは、親日的な東南アジア諸国の取引条件の見直し動向などについても、注視する必要がありそうである。