燃焼時にCO₂を排出せず、貯蔵や輸送も可能な水素は、さまざまな形で利用できる汎用性を持ち、次世代エネルギーとして注目を集めています。特に、脱炭素化が難しいとされてきた鉄鋼や化学といった産業分野や交通分野での活用が期待されています。さらに、火力の代替としての利用も進んでおり、熱エネルギー分野にも活用先が広がってきました。世界各国で水素の製造や利活用が加速するなか、今回は国内外の水素戦略や具体的な活用事例を中心に、最前線の動向を解説します。
目次
1. 水素需要の世界的動向
ロシアによるウクライナ侵攻以降、続くエネルギー危機を背景に、国産エネルギーの増産加速が求められる中、水素エネルギーはカーボンニュートラル実現に向けた“切り札”として、これまで以上に注目を集めています。IEA(国際エネルギー機関)は、世界の水素需要が2050年までに現在の6倍に拡大すると予測しています。
特に、代替技術が少なく脱炭素化が困難とされる鉄鋼・化学といった産業分野や、モビリティ、発電分野における水素活用が期待されています。こうした背景を受け、世界各国で水素戦略の策定が加速しています。
2. 水素生産量の主要国
IEAの最新データによると、2024年時点で水素生産量が多い上位5か国は以下の通りです。
- 1位:中国
- 世界最大の水素生産国であり、年間約3,300万トンを生産し、世界の約3分の1を占めています。現在は化石燃料を原料とした生産が行われていますが、再生可能エネルギーを利用したグリーン水素の生産拡大を進めており、内モンゴル自治区などでの大型プロジェクトが進行中です。
- 2位:アメリカ
- インフレ抑制法(IRA)による強力な補助で水素が優遇対象になり、グリーン水素への民間投資が加速したが、2025年のトランプ政権移行後はグリーン水素の税額控除の撤廃が決定したため、今後の進捗は抑制されると予想されています。
- 3位:サウジアラビア
- 世界最大級のグリーン水素プロジェクトを建設中で、再生可能エネルギーを活用した水素生産を計画しています。
- 4位:スウェーデン
- 欧州最大の電解槽施設を開設し、グリーン水素の生産能力を拡大しています。
- 5位:ドイツ
- 水素経済の推進に向けて、産業部門での水素利用拡大やインフラ整備を進めています。
(参照)
トランプ氏が「撤廃」公約のインフレ抑制法、共和党が見直し着手 第1段階の法案を読む(ESGグローバルフォーキャスト)
3. 水素がカーボンニュートラル・脱炭素に寄与する理由
(1)水素の燃焼時にCO₂を排出しない
水素を燃焼させると、水(H₂O)のみが生成され、CO₂は発生しません。
(2)再生可能エネルギー由来の「グリーン水素」がカーボンニュートラルに貢献
水素の製造方法にはいくつかの種類がありますが、特に再生可能エネルギー由来の「グリーン水素」を使うと、CO₂排出ゼロで水素を生産できるため、エネルギー全体の脱炭素化が可能になります。
水素の種類 | 製造方法 | CO₂排出量 |
---|---|---|
グリーン水素 | 再生可能エネルギー(太陽光・風力)で水を電気分解 | ゼロ |
ブルー水素 | 化石燃料の改質+CCUS(CO₂回収・貯留) | ほぼゼロ |
グレー水素 | 化石燃料の改質 | 排出 |
(3)産業の脱炭素化(水素還元製鉄・化学産業)が可能
- ・水素還元製鉄
- 鉄鋼業は世界のCO₂排出量の約7%を占めますが、水素を使うとCO₂を出さずに鉄を作れます。
- ・化学産業の脱炭素化
- グリーン水素を活用することで、CO₂フリーのアンモニア生産が可能です。
(4)発電分野での水素活用で脱炭素を推進できる
- ・水素を燃料としたガスタービン発電
- CO₂を排出せずに電力を供給できます。
- ・水素+アンモニア混焼発電
- 石炭火力発電のCO₂排出量を削減します。
- ・燃料電池(FC)発電
- 水素を使って直接電気を発生させるため、効率的でクリーンです。
(5)熱分野での水素利用で脱炭素を進められる
- ・水素と回収したCO₂から合成(メタネーション)される合成メタン(e-methane)で熱分野の脱炭素化ができます。エネルギー消費の6割を超える熱分野での脱炭素が可能になります。
- 水素を熱源として利用
- 食品メーカーなどが熱源を水素に転換しています。
(6)交通・モビリティの脱炭素化が可能
・水素燃料電池車(FCV:Fuel Cell Vehicle)は、水素を電気に変えて走るためCO₂を排出しません。
4. 海外の水素戦略と活用法
EU:水素関連技術を脱炭素化の実現に向けた最重要技術の1つと位置付け、2020年7月に「水素戦略」を発表以降、水素に関連した法案を立て続けに提案しています。主要な政策は、グリーン水素の大量供給と産業・運輸部門での積極的な活用を目指し、水素関連の研究開発、水素製造用の電解槽などの製造、水素生産と、水素支援策を全方位的に推進しています。2023年の「ネットゼロ産業法案」では2030年までに最低100GW相当の電解槽設置を目標に据えています。
主要国の水素戦略と活用内容
国 | 特徴 | 政策・活用内容 | 主要企業と活用例 |
---|---|---|---|
ドイツ | 製鉄・発電・水素戦略 | 「国家水素戦略」 ・2030年までに5GWの水素製造能力を目標。 ・再生可能エネルギー由来のグリーン水素を活用 ・産業用、交通インフラ、発電に重点投資 |
Siemens:水電解装置(PEM電解装置)の開発・供給 ThyssenKrup:水素還元製鉄(DRI)技術を開発 Linde:ヨーロッパの鉄道会社向けに水素供給を実施 |
オランダ | 水素港湾ハブ | ・ロッテルダム港を水素貿易のハブとして開発 ・大規模な水素インフラを構築し、EU全体へ供給 |
Shell:10MW規模の水素製造プラントを建設 Gasunie:北海風力発電由来の水素製造とネットワークを計画 |
アメリカ | クリーン水素・FCEV | 「Hydrogen shot」 ・エネルギー、輸送、産業用水素の導入を推進 ・2030年までに水素価格を1kgあたり1ドルにする目標 |
Plug Power:世界最大の水素燃料電池サプライヤー BloomEnergy:水素発電システムの商用化を進める Nikola:水素燃料電池トラックを開発・生産 |
中国 | 国家主導の水素産業 | 「水素エネルギー産業発展計画」 ・2035年までに100万台の水素燃料電池車(FCEV)を導入 ・グリーン水素製造を促進 |
Sinopec(中国石化):グリーン水素プロジェクトを拡大 Weichai Power(濰柴動力):世界最大の水素燃料電池エンジン生産拠点を設立 |
韓国 | 水素経済・FCEV | 「韓国水素ロードマップ」 ・2040年までに620万台の水素車を生産 |
Hyundai:水素燃料電池車を開発・量産、水素トラックも欧州で運行開始 SK Group:水素発電所の建設を計画 |
(参照)
Green hydrogen production(SIEMENS ENERGY)
Hydrogen: Energy carrier for the future(thyssenkrupp)
Hydrogen(A Linde Company)
Hydrogen(Shell Global)
Hydrogen network(Gasunie)
Building the Hydrogen Economy(Plug Power)
Hydrogen Fuel Cells for a Decarbonized Future(Bloom Energy)
Sinopec - China’s First 10,000-ton Photovoltaic Green Hydrogen Pilot Project Now Fully Built and Put into Production(Hydrogen Central)
Core Strength in Heavy Industry: Weichai's Hydrogen Fuel Cell Technology Leads Industry Development(Weichai Group)
Hyundai Hydrogen Mobility(Hyundai Motor Europe)
Hydrogen Energy(SK Innovation E&S)
5. 日本の水素戦略
(1)政府の水素戦略
政府は2023年に「水素基本戦略」を強化し、2030年、2040年、2050年と段階的な目標を掲げています。
年代 | 目標 |
---|---|
2030年 | 年間水素供給量 300万トン、水素ステーション900カ所、コスト低減 |
2040年 | 年間水素供給量 1200万トン、水素発電商用化、水素製鉄導入 |
2050年 | 年間水素供給量 2000万トン、脱炭素社会実現 |
- 水素社会推進法の施行
- 2024年10月に「水素社会推進法」が施行され、低炭素水素等の製造、輸送・貯蔵分野で事業者を支援する制度が開始。水素ビジネスの後押しが期待されています。
(2)水素関連投資の拡大
・政府は、「水素社会推進法」に基づき、水素、アンモニア、合成メタン、合成燃料へ約7兆円以上を投資し、官民合わせて今後15年間で15兆円の官民投資を実施することを盛り込んでいます。
水素等の分野別投資戦略
(3)日本の水素戦略の課題
- ・コスト高
- 水素の製造、輸送、貯蔵にはコストがかかるため、競争力のある価格で提供することが現状では難しい点があります。
- ・水素インフラの整備
- 水素社会に移行するには、水素製造から配送、充填ステーションの整備まで包括的なインフラが必要です。
- ・グリーン水素の拡大
- 現在の水素製造プロセスの多くは化石燃料を使用しており、環境負荷が大きいことが課題です。再エネ利用のグリーン水素の国内製造の拡大が求められます。
(4)水素が効率よく使える分野
「高温」「長距離」「大型」「長期保存」「融通」がキーワード
製鉄や化学などの重工業
- ・製鉄業では「高温の熱」が必要ですが、これを電気で賄うのは非効率です。
- ・水素を使えばCO₂を排出せずに鉄を還元可能(「水素還元製鉄」)です。
- ・アンモニア製造など化学工業でも使いやすくなります。
長距離トラック・バス・鉄道・船舶などの大型輸送
- ・バッテリー式ではバッテリーが重すぎたり、充電時間が長すぎます。
- ・水素燃料電池は短時間で補給でき、航続距離が長いため有利です。
季節間・長期のエネルギー貯蔵
・再エネ(太陽光や風力)の余剰電力で水素を作り「エネルギーの長期保存」を行い、エネルギー需要ピークに使うといった、季節を跨いだエネルギーマネジメントができます。
システム全体での効率最適化(セクターカップリング)
・発電・輸送・産業・暖房など、エネルギーの「つなぎ役」として水素を活用できます。
例えば、風力発電の余剰電力で水素製造→水素とCO₂で合成メタンを製造→冬場の暖房に利用など季節間でのエネルギーシフトが可能になります。
6. 水素活用の具体的な取り組み(国内企業)
分野 | 事業 | 企業(例) | 具体的取り組み |
---|---|---|---|
製造 | ケミカルルーピング燃焼技術の開発 | Daigasグループ | ・酸化鉄の酸化還元作用を利用して水素、電力、CO₂を同時に製造する技術の開発に取り組む |
水素製造装置 | Daigasグループ | ・高性能触媒技術をベースに、都市ガスやプロパン、バイオガス等から生成するカーボンニュートラルなメタンなどを原料として、オンサイトでより安価かつ省スペースで、簡単に高純度水素を製造 | |
産業 | 水素還元製鉄技術を開発 | 日本製鉄 神戸製鋼所 |
・高炉に水素を吹き込んで二酸化炭素(CO₂)の排出を抑える ・水素を使用し、鉄鉱石を直接還元 |
水素を原料とする化学品製造 | IHI、旭化成、 日揮HD | ・水素を利用したアンモニアやメタノール製造 ・特に、グリーンアンモニア(CO₂を排出しないアンモニア)に注力 |
|
発電 | 水素混焼発電 | 大手電力会社 | ・天然ガス発電に水素を混ぜて燃焼する水素混焼発電 ・水素+アンモニア混焼発電 |
水素ガスタービン発電 | 川崎重工業 | 水素100%燃焼によるCO₂フリー発電 液化水素の輸送・貯蔵 |
|
熱利用 | 製造工程での水素の熱利用 | キリンビール UCC上島珈琲 |
・都市ガスの一部を水素に切り替える ・水素で焙煎など水素熱源の利用 |
水素+CO₂で合成メタン製造 | 大阪ガス | 都市ガスを代替するメタネーション | |
モビリティ | 水素燃料電池車(FCV) | トヨタ、日野 | 燃料電池車、水素バス、水素トラック |
水素を活用した鉄道 | JR東日本 | 水素鉄道 | |
水素ステーション | ENEOSなど | 4大都市圏を中心に水素ステーションを展開。商用車向けインフラ整備を推進。 | |
地域・建築 | 自社建築物・スマートシティに水素を活用 | 清水建設 | 水素+再エネの「脱炭素建築モデル」を推進。 |
水素タウン | トヨタ・ウーブン・シティ構想 | 静岡県裾野市での「Woven City(ウーブン・シティ)」では、水素を基盤としたエネルギー管理を実証中。 |
(参照)
水素・電力・CO₂を同時製造するケミカルルーピング燃焼技術の開発(Daigasグループ)
エネルギー技術(Daigasグループ)
水素による高炉でのCO2削減技術を確立 〜世界初 試験炉でCO₂削減43%を実現、開発目標を前倒し達成〜(日本製鉄)
直接還元鉄関連分野(神戸製鋼所)
大規模水素製造システムを活用したグリーンケミカルプラント実証プロジェクトを開始(旭化成・日揮HD)
Hydrogen Road 〜水素社会の未来を切り拓く〜(川崎重工業)
キリンビール北海道千歳工場にて、2026年6月より化石燃料からグリーン水素へエネルギーを転換する実証事業を開始(キリンビール)
水素焙煎(UCC上島珈琲)
3分で読み解く トヨタの水素戦略 なぜトヨタはMIRAIをフルモデルチェンジしたのか(トヨタ)
ENEOS、トヨタ、ウーブン・プラネット、Woven Cityを起点としたCO₂フリー水素の製造と利用を共同で推進(ENEOS、トヨタ、ウーブン・プラネット)
ハイブリッド車両(燃料電池)試験車両の開発(JR東日本)
水素ハイブリッド電車「HYBARI」(JR東日本)
ENEOSの水素ステーション(ENEOS)
建物付帯型水素エネルギー利用システム「Hydro Q-BiC」(清水建設)
7. まとめ
各国の水素戦略や活用事例から明らかになったように、これからは水素の活用がカーボンニュートラルを実現するための重要な手段の一つであることがわかってきました。水素は電力だけでなく、「Power to X」と呼ばれる技術の展開により、熱分野を含む幅広いエネルギー需要にも対応します。ただし、すべての分野で水素が有効であるわけではなく、その特性を理解した上での利活用がポイントです。国内ではグリーン水素の供給が限られ、水素の価格が高いなどの課題がありますが、日本の技術力を活かして水素を活用した脱炭素化の取り組みをさらに推進していきましょう。
- <関連コラム>
- 脱炭素の切り札?世界が注目するPower-to-Xとは

環境ライター・ジャーナリスト
NPO法人「そらべあ基金」理事
環境教育から企業の脱炭素、循環型ライフスタイルまで幅広いテーマで環境分野の記事や書籍の執筆・編集を行う。NPO法人「そらべあ基金」では子供たちへの環境教育や自然エネルギーの普及啓発活動に関わる。個人的にも太陽熱や雨水を使ったエコハウスに住む。著書に「地球のために今日から始めるエコシフト15」文化出版局、「エネルギーシフトに向けて 節電・省エネの知恵123」・「環境生活のススメ」飛鳥新社 他。日本環境ジャーナリストの会(JFEJ)会員。また、2015年〜2018年「マイ大阪ガス」で「世界の省エネ」コラムも連載。
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