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ムハンマド皇太子の経済改革と課題

サウジアラビアは、言わずと知れた世界最大の原油埋蔵量と原油生産量を誇るエネルギー大国である。しかし、米国のシェール・オイルの生産量増加を背景にした原油価格の長期低迷、国内の若年層人口の増加などにより、脱石油の経済構造改革、雇用を生み出す産業創出のための経済改革が待ったなしとなっている。そこに颯爽と登場したのがサルマン国王の息子、32歳のムハンマド皇太子である。彼は副皇太子時代に作成した「ビジョン2030」の中で、石油に依存しない経済改革を行い、若年層に雇用を創出し、女性の社会参加を促し、新産業を生み出すという壮大な構想を立てている。
その目玉となるのが、世界最大の石油会社である国営サウジアラムコの新規株式公開と、株式上昇した資金による世界最大の政府系ファンドの創設である。この話に、世界中の投資家、証券取引所は色めき立っている。サウジアラムコの企業価値は、2兆ドル(約220兆円)とも評価されており、数パーセントを上場するだけでも史上最高の株式上場となる。上場は2018年に予定され、ニューヨーク、ロンドン、香港、東京などの証券取引所が、上場に関して熾烈な誘致合戦を行っている。
とはいえ課題もある。第1に原油価格が低迷し、石油・天然ガス資産の価値が低下していること。第2に利益の一部が王族に流れているという見方があるなど、サウジアラムコの財務内容が不透明なこと。第3に株式が上場されると、株主の意向を無視できなくなり、サウジアラビアの石油政策が自由に行えなくなる可能性があることである。

強権的な内政・外交姿勢

ムハンマド皇太子は進歩的な考え方を持っている一方で、内政・外交において強権的な面も持っている。
外交面ではイランに対する敵対的な姿勢を強め、イラン及びカタールとの国交を断絶し、隣国イエメンのイスラム教シーア派武装組織フーシにイランが関与しているとして空爆を行っている。欧米6ヵ国との核合意による経済制裁解除により、イランは原油生産量を増加させ、サウジアラビアの周辺国に対して影響力を強めている。そうした状況にムハンマド皇太子は危機感を抱き、米国とともにイラン敵視政策をとっていると考えられるが、それが中東地域における地政学リスクを増大し、原油価格を上昇させる要因となり、ひいてはわが国のエネルギー価格の引き上げをもたらすことにも繋がる。
さらに内政においては、王位継承を巡り、サルマン国王とムハンマド皇太子は、汚職一掃の名のもとに、兄弟、甥たちの政敵を排除している。こうした事態は、「法の支配」という欧米の価値観と相反するとともに、排斥された王族の間に不満を生み出している。そのため、予定通りに経済改革が成功しなかった場合、ムハンマド皇太子への反発が強まるとともに国内の混乱が拡大し、さらには欧米諸国からの投資が大幅に減少することも充分に考えられる。

気がかりなサウジアラビア経済政策の行方

サウジアラビアの脱石油依存、経済構造改革を進めるためには、その前提として原油価格の安定による変革の資金を必要とする。しかし、イエメンへの軍事介入による財政負担が増加し、サウジアラビアの財政が均衡する原油価格は、1バレル70ドル程度に上昇し、財政赤字が続いている。経済改革、財政健全化のために、社会保障の引き下げ、付加価値税の導入、公務員給与の削減等の国民に痛みを強いる改革を掲げてきたものの、国民からの不満を恐れて、公務員給与の削減を撤回し、財政健全化計画を2023年に先送りすることを決定した。サウジアラビアの意欲的な経済改革は、王族、宗教界の反発、国民の不満との間で行き詰まりを見せている。
日本にとって、サウジアラビアは最大の原油輸入先であり、「日本・サウジ・ビジョン2030」の経済協力を通じて、石油、石油化学にとどまらず、広く製造業の人材育成、再生可能エネルギーにも協力分野を広げている。サウジアラビアの内政・外交の混乱は、中東地域の情勢を不安定にするだけではなく、日本経済にも大きな打撃を与えるだけに、同国の意欲的な経済改革と強権的な政策の動きには、当分目が離せそうにない。

エネルギー
よもやま話

日本は省エネ先進国?

1970年代の2度にわたる石油ショックと原油価格の高騰により、日本は1974年に戦後初めてのマイナス成長に転落し、高度経済成長が終焉した。その経験から資源エネルギー小国である日本は、欧米に先んじて省エネに注力し、エネルギーの効率的利用、消費量の削減に関して世界第1位の省エネ優等生となった。
1999年の省エネ法の改正では、多エネルギー消費機器について、最も省エネ性能が優れている機器の性能以上にする制度(トップランナー方式)を導入し、電気製品などの省エネ効率では以降、世界の最先端を走り続けている。しかし、皮肉なことに、省エネ先進国であるがゆえに、今2つの課題を突きつけられている。
第一に、地球温暖化対策としての温室効果ガス排出削減の基準年の設定の仕方によって、日本が「乾いたタオルを絞る」に等しい過重な目標を課せられる懸念があること。(注)
第二に、第2次石油ショック後、世界一の省エネ国となったものの、その後の原油価格低迷時に省エネの機運が後退し、国の再生可能エネルギーへの補助が削減されたこと。この間、欧米諸国ではIT、AIを活用した、自動車の渋滞緩和、電気機器、ガス器具の効率的な利用というソフトウェアの開発が熱心に行われている反面、日本は同分野で大きく遅れをとってしまっている。日本はモノづくりには強いものの、最先端のソフトウェア開発に苦手な面があり、省エネにAIを利用する事業も途についたばかりである。
今日本に必要なのは、原油価格高騰期に築いた省エネ先進国に安住することなく、IT、AIを活用した新たな省エネ技術・システムを開発・構築して、21世紀の省エネ競争に立ち向かうことである。

(注)例えば、排出基準年を1990年、2000年とすると、日本は省エネ政策を実施し、省エネが進んだ後である一方、老朽化した石炭火力発電所を多数抱えるEU諸国や米国は、最新鋭の天然ガス火力発電所へのリプレース、シェール・ガス革命による天然ガスの利用増などで、特に省エネ施策を実施しなくとも、温室効果ガス排出量の削減が比較的容易に図れることになる。