2050年のネット・ゼロ実現に向けて
SBTイニシアチブは、「Science Based Targets」(科学的な知見にもとづく温室効果ガス排出削減目標)の頭文字をとったもの。世界の気温上昇を2050年までに産業革命前と比べて1.5度以内に抑えるために、企業が取り組んだ気候変動対策に対して認証を与える国際的な基準である。
2022年7月には三菱地所が、2050年を目標年度としたSBTイニシアチブの定めたネット・ゼロ認定を取得。8月にはキリンホールディングスが、食品企業として国内初のネット・ゼロ基準の認定を受けた。2022年12月時点で、参加している日本企業は375社に達している。
日本政府も2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロにする、カーボンニュートラル社会の実現を目指している。カーボンニュートラルとネット・ゼロは、いずれも温室効果ガスの排出を正味ゼロにするという意味である。
3つのスコープ
温室効果ガスの排出の種類を3つのスコープに分類(下表参照)し、以下のような目標設定の基準を定めている。
スコープ1とスコープ2の合計の削減目標を、温室効果ガスの総量年率4.2%、スコープ3で年率2.5%削減。2050年までに、スコープ1からスコープ3まで90%の温室効果ガス排出削減を行い、自社で削減できない10%の温室効果ガス排出量(残余排出量)をゼロとする中和化の方法を規定した。植林による炭酸ガス吸収、DAC(直接空気回収技術)の利用、未来における技術革新を総動員して、2050年以降の大気中の炭酸ガス濃度を引き下げることである。
三菱地所を例にとれば、2019年度の温室効果ガスの総排出量に対して、2030年度までにスコープ1とスコープ2の合計を70%以上、スコープ3を50%以上削減し、2050年までにネット・ゼロ達成という目標を掲げている。そのために、丸の内周辺のビルの電力に再生可能エネルギーを導入するなど、先進的な取り組みを行っている。
企業の将来性を左右
厳しい基準をもつSBTイニシアチブの認定を受ける意味は、大きく4つ挙げられる。第1に企業の技術革新を促すこと。脱炭素により新しい技術開発、ビジネス環境の構築をもたらし、未来のイノベーションをリードする。第2に企業が温室効果ガス排出削減に関する、様々な政策、規制を先導する役割を果たすこと。第3に企業が率先して温室効果ガス排出削減に取り組み、社会をリードすることによって、企業価値が高まり投資家、消費者から大きな信頼を得られること。第4に各企業が温室効果ガス排出削減に向かうことによって、企業自身の収益力、競争力を高め、企業を持続可能なものとする等である。
世界が脱炭素に向かっているなかで、自分の企業は何をすればよいか分からないという場合も多いと思われる。実際、原材料調達から製品販売のすべてについての炭酸ガス排出量算定は、技術的にもコスト的にも困難が多い。多くの中堅企業は、SBTイニシアチブへの対応が難しいと回答しており、大手企業は関連中堅企業、取引先に対して、温室効果ガス排出算定手法、削減方法についてのアドバイスを始めている。
2030年度の46%削減、2050年のカーボンニュートラルは、企業にとって短期的には負担を与えるものの、長期的な視点にたてば新たなビジネス・チャンス到来の好機でもある。ネット・ゼロへの対応の巧拙は、企業の将来性を左右するものといえる。
よもやま話
ウクライナ危機の着地点とエネルギー供給の安定
ロシアのウクライナ侵攻から、1年が経過しようとしている。圧倒的なロシアの陸上戦力の前に、ウクライナの首都キーウが数日のうちに陥落すると思われていたものの、ウクライナ軍の士気の高さ、欧米先進国による最新兵器の供与等によって、ウクライナは予想を超える善戦を見せ、強権国家と民主主義国家の戦いは長期戦の様相を呈している。
ロシアは劣勢に追い込まれ、日々巨額の軍事費を費やしている。このまま欧米によるウクライナへの最新兵器の供与と、それに対抗するためのロシアによる兵力投入が続くと、戦闘行為は泥沼化し落としどころが見えなくなる。そこで考えられるのは、EU、トルコ、中国等の第3国による停戦への調停工作である。
1962年のキューバ危機で、世界は第3次世界大戦の恐怖に怯えた。ケネディー大統領とフルシチョフ首相の厳しい協議の末、ソビエト連邦がキューバの核ミサイル撤去を行うことと引き換えに、米国はトルコの核ミサイルの撤去を実施することで合意。両国とも顔が立つ解決策をとった。
しかし、それで妥協点が見出されたとしても、エネルギー問題が解決するわけではない。プーチン政権である限り、ロシア産石油・石炭・天然ガスの禁輸は今後も続き、エネルギー需給の逼迫、電力需給の不安定化が続く。打開案は3つ。第1にロシアとの協調関係を続けている中国、インド等がロシアから石油、石炭、LNGの購入を行い、その分余剰となったサウジアラビアの原油、カタールのLNG、豪州の石炭等を欧州諸国、日本等に供給する方策である。エネルギーの世界需給はバランスし、原油価格、LNG価格の安定化をはかることができる。
第2にエネルギー調達源の多様化。欧州諸国はロシアに代わる天然ガスの輸入先として、米国のLNG輸入を増加させている。これに伴い大阪ガスが参画するフリーポートLNGプロジェクトでは、年産500万トンの増設計画を構想している。米国のLNGは原油価格を指標とする場合と比較して割安な場合が多く、日本の消費者にとっても恩恵がある。余剰となった場合の転売も可能で、電力需要の変動にも柔軟に対応できる。日本も、米国、豪州等の地政学リスクの小さい国からのLNG輸入という多様化が期待される。脱炭素へのトランジション(橋渡し)のエネルギーとして、LNGの安定的な調達は重要である。
第3に太陽光発電、洋上風力発電等の再生可能エネルギーのさらなる普及が挙げられる。ロシアからのエネルギーに依存せず、脱炭素を実現し、欧州、日本のエネルギー自給率を向上させるためには、再生可能エネルギーのさらなる増強が必須である。洋上風力発電については、大阪ガス、東京ガスをはじめとした都市ガス企業も事業展開しており、世界第6位の広大な排他的経済水域(EEZ)を誇る日本にとっては、洋上風力発電は大きな魅力を持っている。大量生産と技術革新により、風力発電の発電コストは急速に低下している。
ウクライナ危機を教訓に、再生可能エネルギーから、アンモニア、水素を生産し、ロシアからの石油に代替することが考えられる。炭酸ガスを排出しないアンモニア、水素を利用すれば、その分だけロシア産石油への依存を軽減することができる。ウクライナ危機は、人類の平和にとって不幸なことである。しかし、この教訓を生かし民主主義国家からのLNG調達、再生可能エネルギーの普及拡大、炭酸ガスから天然ガスの主成分メタンを生産するメタネーション等を総動員して、脱炭素の実現と低廉なエネルギーの安定供給を実現できるならば、後世の消費者のための、地球環境に優しい、安価なエネルギーへの一大変革になるのではないだろうか。
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ENERGY BUSINESS PRESS vol40(PDF)