夢の技術への取り組み
地球温暖化対策の枠組みである2015年のパリ協定で、地球の気温上昇を産業革命前の2度未満、1.5度以内にむけて努力するという目標が掲げられた。そのためには、地球温暖化の要因となる炭酸ガスの排出を、今世紀半ばまでに化石燃料の燃焼による炭酸ガス排出量と森林等による炭酸ガス吸収量を等しくして、実質ゼロとする必要がある。そこで期待されているのが、カーボンリサイクル(脱炭素化)である。電極の技術を利用して炭酸ガスを分離・回収し、水素と合成して天然ガスの主成分であるメタンを製造し、炭酸ガスと水素を合成させてプラスチック等の化学品を作り出す夢の技術である。
日本は今年2月に、経済産業省資源エネルギー庁に「カーボンリサイクル室」を設置し、6月に大阪で開催される「G20(20ヵ国・地域)会議」において、わが国のカーボンリサイクル技術開発のロード・マップを世界に提示し、秋には「カーボンリサイクル産学官国際会議」(仮称)を開催する予定になっている。
様々な方法を駆使して
カーボンリサイクルには様々な方法がある。①炭酸ガスを老朽化した油田に注入し、原油生産量を増加させるEOR(増進回収法)技術により、大気中に放散される炭酸ガス排出量を削減する方法。②CCS(炭酸ガス回収・地下貯留)技術の開発により、石炭火力発電等から排出される炭酸ガスを回収し、地下の天然ガス層、帯水層に貯留して大気の炭酸ガス濃度を上昇させない方法。③太陽光を用いて炭酸ガスと水からエネルギー、有機物をとりだす人工光合成。これに関しては、「NEDO」(新エネルギー・産業技術総合開発機構)の支援による技術開発の進展によっては、2030年頃に太陽光と炭酸ガスと水により基礎化学品であるオレフィンを大量生産し、衣料品、ペット・ボトル等の石油化学品が普通に利用できる時代が到来する可能性も考えられる。
さらに、④バイオマス(生物資源)発電の促進があげられる。木質チップ、パーム・ヤシ殻等を用いたバイオマス発電は燃焼時に炭酸ガスを排出するが、植物の生育時に炭酸ガスを吸収する炭素中立的(カーボン・ニュートラル)な性格を持っている。今後は世界的な未利用森林資源、間伐材を利用して、バイオマス発電の拡大により、炭酸ガス濃度を上昇させることなく、電力供給を行うことが可能となるだろう。
世界をリードする日本のカーボンリサイクル技術
カーボンリサイクル技術が進化するならば、地球温暖化につながる炭酸ガス濃度上昇を懸念することなく、化石燃料を容易に利用することにより、人類は持続的な成長を達成することが可能となる。また、炭酸ガスの再利用により、都市ガスの製造、石油化学製品等の生産が実現するならば、石油・天然ガス資源の供給に余裕が生まれ、資源枯渇の危惧、エネルギー需給逼迫による価格高騰を懸念することなく、貴重な化石燃料を安定した価格により利用することができる。まさに、地球環境保護と安価な化石燃料の利用による発展という好循環が実現する。
ただ、課題も多い。現時点の技術においては、①炭酸ガスの回収・再利用にあたってのコストが割高であり、技術が開発途上にあり、民間企業による事業の経済性がないこと。②量産技術が確立していないこと。オレフィンの生産も、実験室において少量のプラスチックを製造することにとどまっている。③炭酸ガスの地下貯留は、地震を誘発するという環境保護団体の反対運動があり、炭酸ガスの地下貯留の安全性への科学的な議論を深めていく必要があること等、である。
日本は世界最先端の触媒等の技術を持ち、カーボンリサイクル技術の先頭を走っている。今後の技術革新により、安価で大量の炭酸ガス回収・再利用の技術が確立するならば、炭酸ガスを新たな資源として、エネルギー自給率が8.3%(2016年)にとどまる日本のエネルギー安全保障に寄与し、環境の世紀における日本と世界の新たな繁栄の基礎を手に入れることが可能となるのである。
よもやま話
平成のエネルギー業界を振り返る
5月、平成から令和に元号が代わった。平成30年間のエネルギー業界を振り返ると、「自由化」、「市場の乱高下」というキーワードが思い浮かぶ。日本のエネルギー政策は、平成以前にはエネルギーの安定供給が最大の課題となっていた。そのために政府はガス事業法、電気事業法、石油業法等により、エネルギー企業に対して参入規制、料金規制、需給調整等を行い、経営を安定化させる仕組みを作ってきた。しかし、日本経済が成熟化し、中国、インドをはじめとした新興経済発展諸国の高度経済成長で経済のグローバル化が進展する平成になると、安定供給に加えて競争促進、自由化による消費者の利便性、効率性の追求が求められるようになった。
それが、1995年(平成7)から始まる電力・都市ガスの自由化の開始、1996年の特定石油製品輸入暫定措置法の廃止で、その総仕上げが2001年の石油業法廃止による需給調整規制廃止、2016、7年の電力・都市ガスの全面自由化といえる。電気は電力会社、都市ガスはガス会社から購入することが当たり前という常識が180度変わり、企業、消費者にとって一番便利なサービスを提供し、割安なエネルギーを供給してくれる企業が勝ち残る時代になった。見方を変えれば石油、天然ガス、電力の垣根を越えた総合エネルギー企業として、事業領域の拡大を行うチャンスが到来したといえる。
また平成は激動の時代であった。1991年の湾岸戦争、2003年のイラク戦争等による中東情勢の混乱、中国をはじめとした途上国による石油の爆食、ニューヨーク原油先物市場への投機資金の流入等により、WTI(ウェスト・テキサス・インターミディエート)原油価格は急激に上昇し、2008年7月には1バレル147.27ドルまで高騰した。その後は、戦後最大の不況といわれたリーマン・ショックにより、原油価格は2008年末には1バレル26ドルまで下落し、2011年のアラブの春、福島第一原子力発電所事故により、再び1バレル100ドルを突破した。
平成以前には原油取引市場の参加者は、石油企業、航空会社、海運企業等の石油を実際に扱う当業者(Commercial)が中心であった。しかし、平成になると、原油先物市場の主役は年金基金、ヘッジ・ファンドをはじめとした投機資金、非当業者(Non-Commercial)になった。そのため、中東の地政学リスクや中国による石油・LNGの需要増加、トランプ大統領の発言等に敏感に反応する市場心理(センチメント)によって、エネルギー価格が激しく乱高下する時代が始まっている。エネルギー企業も、エネルギーの市場化と無縁ではいられなくなっている。原油価格、LNG価格の高騰は、原料、燃料の調達コストに跳ね返る。エネルギーの需給だけではなく、市場に参加する投機資金の動向に注意を払い、市場の動きに柔軟に対応し、場合によっては、LNGのディーリングにより、エネルギーの安定供給と調達コストの低下をはかることが求められる。
平成の時代を振り返ると、エネルギー業界が、石油、天然ガスという、エネルギーの領域だけにとどまるのではなく、いろいろな他分野とふれあい、世界経済に目を向け、市場の声に耳を傾けるという、難しくも、おもしろい時代に突入したのである。